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■京都?(実は押上)。
■マイノリティ・リポート(意味不明)。
■CATCH ME IF YOU CAN
↑ミニチュアのようなスクランブル交差点。
■ク★スト作「チョウチン・プロジェクト」・・・これなら「点灯」しても大丈夫? (写真は本文と関係ありません。)
■「不在のマチエール」ージャン=ポール・サルトルは「不在のピエール」。
↑織田祐二とイトーヨーカドー曳舟店。
■「不在のマチエール2」
■ヨゼフ・ボイスの作品ではありません。ゲルハルト・リヒターの作品でもありません。・・・アレッ?
↑アンドレイ・タルコフスキーがキョウジマを撮ったらこんな具合か?
↑建物が折り重なって一体化し、セザンヌの養鶏場の絵(ジャ・ド・ブッファン)に似ているが、 昔、曳舟川があったため、京成曳舟駅から明治通りまで、道路がS字にクネクネと曲がっている。
反対側から見たライオンズマンション。やはりサントビクトワール山に見える。 絵に描くと→+
■TWILIGHT KYOJIMA
■ファン・アイクの凸面鏡。
■こんなところにあったジュラシックパーク "サイトC"。→
■通称「マンモス公園」の滑り台
■この公園には確か日本最後の紙芝居のおじさんがいたが、 私の少年時代には既に紙芝居は止めていて、 もっぱら「飴ぬき」オンリーであった。↓
「午前4時の宮殿1」/Palece at 4A.M. 1
■60年代から残っているガソリンスタンドの壁。
「午前4時の宮殿2」/Palece at 4A.M. 2
「午前4時の宮殿3」/Palece at 4A.M. 3
■この写真のあと、彼は私のスタジオに来てアートについて、互いの作品について語り合った。 「クロスキャンバス」について説明を求められたので、彼が彫刻家でもあることから、アルベ ルト・ジャコメッティの生涯を賭けた現実の追求と写生による仕事を引き合いに出して説明 したら、クロスが最初ただの「カタチ」だと思っていたのがそうではないことが分かってきて、次 第に顔が蒼ざめていったのを記憶している。芸術に対してきわめて真面目に考える素晴らし いアーティストであった。
■この写真だけ見ると、まるで空気のいいどこかの農村のようだ。
■2つ左の写真と同じ位置から撮った現在の同じ場所。今年2月の放火でインスタレー ションに使用された空家と何軒かの商店が全焼し、お年寄りが一人亡くなり、大勢が店 舗を失った。左のイベントの際の写真は、私の家に聴き込みに訪れた向島警察署の警 部補が「燃える前の姿を映した写真が欲しい」ということで1週間ほど警察に預けられ た。↓
■ふさがれたトンネル。昔は空いていた。「秘密基地」だった ことは言うまでもない。
■エストニアのスカルプター、ヴェルゴ・ヴェルニクと私の母。 彼は始めブランクーシ風の彫刻を作っていたが、国がロシア から独立して資本主義が流入してきてからはコンクリートを使 用した墓石のようなインスタレーションを作り始めた。↑→
■商店街側から撮影。共同店舗と思われる新築工事が始まっている。
■ネコも心なしか寂しそうだ。
■スーラ作「グランドジャット島の日曜日の午後の紅茶」・・・?
■「京島文化祭」11/9-10 まさかここでやるとは・・・(苦笑)
■イッカイヤスミ。
■ワールド・トレード・センターと言うわけではない。 (写真はイメージです。)
■「現場検証」 1日戻って、京島文化祭の前日11月8日午前10時頃、第6コミュニティ住宅花畑の前 で、交通事故が発生、自転車に乗った女性が軽トラックと衝突した。幸い命に別状はな かったようだが、急ブレーキの音が私の部屋まではっきりと聞こえてきた。この場所はな ぜか翌日のイベント会場として、そのイベントのサイトの地図に記載されていた場所で あったが、本当の会場(右の写真)は「第3コミュニティ住宅周辺」と書かれているにもか かわらず、この「第6」の場所が矢印でマーキングされていた。そして事故から数時間後 の午後2時頃、その地図は本来の場所に修正されていた。→
■弱酸性?
■Vanilla Sky in Kyojima / September 11.02
■↑こちら側のどこからでも切れます。
■電線にとまる鳩。
■[京島プロダクト・e4] 京島産オリジナル商品(PC用周辺機器)。限定100台生産し、完売した。当時パソコン雑誌等に掲載され 話題を呼んだ。しかし、私はこれを自分の作品とは思ってはいない。
■ポール・ゴーギャンの遺作はデンマークの雪景色であったが、それが描かれ たのは常夏のタヒチであった。
■Midnight+4 プロジェクト京島初のデジタル撮影は、やっぱりセルフポートレイト。 撮影から加工まで僅か10分というのは、ウォーホルもビツクリ。
■Angel's Piss: April 19/03